三重県に越してきて
驚いたことがあった
人に怒られない
いや
どんだけ悪いことをしているのかと言われれば
そうなのだけど
生活していたり運転をしていても
イライラしている人や怒っている人がいなくて
驚いている
裏の子供達がたまにきて
わ。火炊いてたから怒られるかな
とかいつも思ってヒヤヒヤしてたら
ボール取って良いですか?だったり
トラックの後ろに旦那を乗せて走って
近所の人が訪ねてきたので怒られるかな
と思ってたら庭のはっさく取って行って
ってお誘いだったり
三重県にきて、怒られたり嫌な思いをさせられることがなくて
わたしの性質にあった居場所があったって
おもったな。
怒られることは少なくなったけれど
怒りは悪いことじゃない
たまには
もおおおおおおおおおおおお
って暴れたりする私です。
”ミニナルミ”と旦那に呼ばれている人格
子供みたいに嫌!って言ったり
アイス食べたい!とわがままを言ったり
人間、そんなこともないとやってらんない
ホルモンバランスは多いに乱れる
思う存分、泣いたり怒ったりします。
大事。
みなさんはどんな発散をしますか。
東京にいた頃は
満員電車で怒っている人やイライラしているひと
多かったな
いまはそんな人に合う機会がなくて
どんどんスローになっていく私
環境によって性格は形成されるもの
先日の企むラジオで
渡辺光一さんと谷川嘉浩さんのお話
新聞記者と詩人に例えて
正確さを求められる新聞記者
どうでも良いことやありふれたことにある詩人
どちらもとても大事な要素で
生きるには両方の思考が必要
わたしはいつも詩人のような心を持っていたい
いつまでも部屋に入る光を綺麗だと見つめたり
時間という概念のことを考えたり
それだけじゃこの世界、この社会じゃ
生きてけないのだけれど
それがなきゃつまらない
大きく分断する言葉じゃなくて
両方の要素を用いることで世界線の共有
いつも両親が教えてくれたこと
”ひとは違うということ”
あれゆる世界を分断せずに見せてくれた
あらゆる視点でものごとを理解すること
言葉でははっきり教えてもらったことはないけれど
生きていて差別に対する怒りや
どんな他者へでも尊重があった
いま生きていて必要な教えだった
いまでは生きやすいかもしれないけれど
マイノリティとされる家族を守る
わたしの義務があった
まだまだ未来に希望が持てない人もいる
でもさ、
まだ生きてるんだから
大変ね、可愛そうで片付けないで
私達はまだ死んでない
社会に対する怒りや
どうしても耐えられない言葉には
怒っていい
わたしも何度も怒ってきた
わたしにできることを考えてる
負けないで
声を上げる。 上げ続ける。 あきらめないで、
がっかりしないで、根気よく。 社会を変えるに
は、 結局、それしかないのだ(坂本龍一)